散策マップ

佐敷城下歴史ウォーク散策マップをご紹介します。

1.廣徳寺  高野山真言宗

2.明専寺  浄土真宗本願寺派

3.蓮光寺  浄土真宗本願寺派

4.専妙寺  浄土真宗本願寺派

5.二尊寺 曹洞宗

6.来迎寺 浄土宗

7.勝延寺 浄土真宗本願寺派

8.実照寺 日蓮宗

9.杉本院平等寺 真言宗

3.薬師堂

10.相逢橋と高札場跡

18.佐敷城跡

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1.廣徳寺(こうとくじ)

高野山真言宗

左手には真言宗開祖の弘法大師 (空海)の修行姿の立像があります。

2.明専寺(みょうせんじ)

浄土真宗本願寺派 (本尊 阿弥陀如来) 開基 明円(俗姓は益田)

明円は益田新兵衛と言い、城代加藤重次に仕え、知行500石を給わった。豊臣秀吉の朝鮮遠征には、加藤重次に帯同し、武功を挙げ加藤清正公から褒美を頂いた。慶長18年(1613年)に出家し、寛永17年にこの地に寺を創立。

3.蓮光寺(れんこうじ)

浄土真宗本願寺派 (本尊 阿弥陀如来) 開基 善了 (俗姓黒田、江州伊香郡黒田村にいた)

善了の父が細川幽斉公に仕え、公が肥後に赴くとき、病気で陪従できず死した。寛文元年に善了が細川侯に拝謝した。藩侯は佐敷に蓮光寺を創設させ、住まわせた。

4.専妙寺(せんみょうじ)     

浄土真宗本願寺派 (本尊 阿弥陀如来) 開基 了学(俗姓 井上勘兵衛吉弘・渋谷市太夫吉弘)

了学と兄重次は、当初佐々成政に仕えた。成政が失脚したので、兄は加藤家に仕え、加藤大和守重次となり、佐敷花岡城城代となった。元和五年 (1587年)に花岡城が没落したので、吉弘は剃髪して了学に改め、寛永2年に専妙寺を創設した。

曹洞宗

《由緒》 明治36年に伊予国八幡浜町(愛媛県八幡浜市)の大黒山吉蔵寺住職金田東禅師が建立。城山一帯には信徒が寄進した石仏が多く存在する。

浄土宗

《由緒》 城代加藤重次の母が、天正11年に再築した。当寺は、当初佐敷町の川端 にあったが、毎年洪水に見舞われたので、今の地に移された。葦北三十三観音霊場の最後の三十三番札所で、十一面千手観音が祀られている。

浄土真宗本願寺派 (本尊 阿弥陀如来) 開基 遊珍  

寛永6年創立、八代野津勝専坊末に属する。境内には町指定文化財の宝篋印塔が建つ。近くには種田山頭火の句碑もある。

日蓮宗

《由緒》 当寺は城代加藤重次が、慶長17年 に清正菩提の為建立。

 寛文元年、本妙寺五世日悠上人が 再建して実照寺と号し、本妙寺の末寺となる。山門にある仁王像は、杉本院平等寺から移設されたもので、承安元 年(1171年)に平重盛が献納したものと伝えらている。

真言宗

《由緒》  聖武天皇の代に建立され、承安元 年(1171年)平重盛によって再興された。葦北三十三観音霊場の一番札所 です。戦国時代、相良氏は外交使節の宿舎に利用し、江戸時代、八代城天守の落雷は養清坊の祟り伝説が残る。

《由緒》  ここの薬師三尊及び十二神将像は、杉本院の末寺であった東福寺から移されたもので、一部に室町時代や江戸時代の作品も含んでいるが、ほとんど が鎌倉時代の優れた作品です。通常は、施錠されて見れませんが、年に1回の開帳があると言うことです。

《由緒》  相逢とは、「人恋しい」と言うロマン チックな名前だが、江戸時代中期の11月、年老いた六部と若い娘が橋の中程で出会った。それは、7年前にお経を納める旅に出た父と下野国に残した娘でした。この奇跡を喜び人々が「相逢橋」と名付けた。橋の袂には11 枚建ての高札場もあった。

《由緒》  佐敷城は、16世紀後半に薩摩や相 良に対する備えとして、加藤清正が築かせた。「梅北の乱」では、敵将の梅北 宮内左衛門を城内で討ち取っている。

元和元年(1615年)の一国一城令 により破却された。 「天下泰平国土安穏」の瓦や「桐紋入鬼瓦」も出土している。