㉛ シラス坂

 ここには広大なシラス台地が広がっています。シラスは白砂・白州とも書きますが、火山灰の堆積物です。シラス台地は鹿児島県で有名ですが、遥か昔に姶良カルデラという火山があり、約二万五千年前に巨大噴火を起こしたそうです。その灰は鹿児島県は元より、宮崎県、熊本県にも降り注いだそうです。
 その灰がこの水俣にも堆積し、シラス台地が出来ました

㉜ 新町眼鏡橋

 家の間を流れる水路の上に、取り残されたように石橋があります。文政8年(1825年)に薩摩街道に架けられていた土橋を、当時の水俣手永地士徳富才七が、銭七百目をもって石橋にかけかえたという事が古文書に記されています。これを渡ると、会所や往還宿があったところに着きます。

㉝ 公徳碑

 江戸時代の尊王論者の高山彦九郎が、深水頼永や徳富茂十郎らと矢筈岳に登った時、この道を通りました。彦九郎は大石の上に、小石が積まれているのを見て、その理由を聞きました。茂十郎は「通る旅人が通りやすいように、地元の人が小石を片付けている。」と答え、彦九郎が感心し「田舎にこそ人情は残っている。」と感激した話をもとに、徳富蘇峰の発案で昭和32年に建てられました。

㉞ はぜのき館

 水俣のはぜ栽培の歴史や、はぜからできる製品、ろうそく作りについて勉強できます。また、はぜのろうそくの販売や、ろうそく作りの体験もできます。
 この地区には、宝暦4年はぜの仕立を命ぜられた鬼塚忠助氏により植え始められ、最盛期には250町歩約10万本が植えられていました。現在では約1万本が残っているといわれています。

㉟ 境 橋

 明治16年(1883年)に架けられました石造りの太鼓橋で、肥後の石工の卓越した技術が見られます。
 寛政4年(1792年)3月に高山彦九郎がこの川を越えていますが、当時は橋は架かっておらず、飛び石伝いに川を渡って行ったようです。また、頼山陽もこの川を渡って薩摩に入っていますが、夕方遅くなり、野間の関所を通ることができず、引き返し神之川の農家に泊まったと書き残しています。